うっかりは人の本能!

 今日は
 花屋の店先の宿根朝顔
 ふと岡惚れをした。

 巨大青虫大量発生以来、
 我が家では朝顔は暗黙のもと禁じられている。
 
 20cm近くの図体が
 「やあ、この葉っぱ美味しいねえ」
 「お、そっちの葉っぱもいけてる?」と、
 朝顔の生垣にうごめく姿は
 ひどい恐怖を呼び起こす。
 
 ううっ、全くもって今になっても耐えられない!! 

 青虫が苦手な母と
 1匹100円で駆除バイトをした小学生の私。
 どっちがちゃっかりしていたのかな。

 割り箸でつまんでビニールへ入れるだけでも。。
 私も、苦手だったのに・・・
 確か、欲しい本があったのだ。
 はぁぁ、なんとも昔から浅ましい。
 
 まあ、そんな思い出は置くとして、
 店先の花はそよそよと
 清涼感を漂わす。
 道行く人はふと一瞬だけ歩みを遅らす。

 澄み切った、品のある明るい藍色
 高貴な色という意味で、読みを重ねて
 宿根と書いて
 「すくね」と読んだ。
 聞いてみたらば、
 何のことは無い
 「しゅっこん」朝顔と言うらしい。
 
 どうも 音の触りが可愛くない。
 なんだか大根を抜く音みたい。
 
 あんまり楚々として咲いていたので、つい勘違い。
 土の中に根が宿っていれば、ぐんぐんと増える
 非常に元気な朝顔だそう。
 
 小学校の夏の課題は朝顔栽培
 子供に育てさせるくらいだから、
 強くない筈も無い。
 
 考えてみればわかるのに
 どうもうっかり早とちり。
 
 社会に出ればケアレスミスは真っ平ごめん!
 大事件!
 取り返しがつかなくなること多いから、
 みんなピリピリ気を配る。
 
 日本は特にケアレスミスを極力無くして成長してきた
 そんな国。

 でも・・・・
 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
  これは、枯れた花を見て幽霊だと勘違い。
  よくよく見たら大笑い。
  びくびくしていると、そうでないものまでそう見えてしまうということば。
 だから冷静に考えなさいっていうことだけど・・・
 
 こんなうっかり、多すぎは困る。
 けど 
 実はうっかりって
 人として必要な・・・ううん。
 人が物を作り出す大切な原動力の
 発露なんじゃないかな。

 考えるって、
 感覚ニューロンと感覚ニューロンが、
 シナプスっていう手をつなぎあって
 こんな情報があったよ!って
 話(電気信号)を伝えて、
 発想→思考に繋がっていくこと。
 ・・らしい。
 ・・・専門的知識は全くないから、はきとそうだとは言えないけれど。
    (きちんとある方、教えてください!)

 ものを考えるとき、
 冷静に見て認識することは大切。
 だけど、
 何かを見て、
 大まかにそれを判断し、瞬間的に別のことと結び付けられる。
 その能力は、
 何かを発明し、発達させる起爆剤のような所がある。
 
 うっかりが多い人は、
 変な方向へいってしまうこともあるけれど
 すばらしいアイデアマンにもなれる可能性があると思う。
 それでさらに、
 冷静な目でサポートできる一面(又はそんな人)があれば更にいいと思うのだけど・・。

 勘違いって、きっと
 人が生まれながらにもっている大切なバグの1つ。
 人は機械になるのが目標じゃないのだもの。
 新しい何かにぶつかったとき、
 自分の中の何かと組合せて、それを全く別な所へポーンと発達させて、
 より新しい何かを作り出して人という種を押し進めていく。
 
 たまには失敗もあると思う。
 笑われることもたくさん。
 けれど、その基本となっているうっかり勘違いは、
 自分をより高めようという人間の本能の端っこが飛び出しているようなもの・・

 そんな風に思っていては駄目かしら?







 「やまももジュースの子供時代」



 昨日、知り合いにヤマモモを頂いた。
 ピンポン玉を一回り小さくしたような実がたくさん、
 ビニール袋に詰まって 玄関のノブに掛かっていた。
 ヤマモモは猫の舌の味蕾のような突起で表面を覆われていて、とても可愛い。

 外に食事に行って
 お酒に漬かったものは経験済みでも、
 生は初めて。

 かじってみると少しすっぱい
 ネーブルオレンジのような味がした。
 鍋で煮ながらちびちびと食べていたら(すっぱくて一気に食べられない)、
 渋谷の青山ブックセンター本店前に
 この実がたくさん生っていたのを思い出した。

 ビルとビルの合間で鳥も気がつかないのか
 道に少しくすんだ紅い染みが点々と落ちていた。
 あの時は
 これで布を染めたら良い色に染まりそうだな
 なんだろうって思っていたけど、
 誰も取らない実なのだし
 取って食べてしまえばよかったと、ふと思う。
 
 そこここ通る人の目くぐって・・・・
 
 こどもの城へ来る子供達、
 あの実を食べはしないかな?
 食べられもせず落ちていく実はなんだか悲しい。
 
 グミの実、桑の実、木苺、ざくろ・・・
 学校行く道、遊ぶ道
 冒険小説大好きで
 「今無人島へ行ったなら」
 あの実食べれる!この実いけない!
 あれ薬、あれは毒!
 図鑑片手にみぎひだり。

 垣根のないうち知らずに入って、
 お家の人と仲良くなってお茶したり。
 よもぎを摘むのを手伝って
 一緒にお餅をつくったり・・・
 
 思えばなかなかずうずうしくて
 社交?的。
 色々あったけれど
 良い子供時代を過ごしたと思う。
 
 ただ今は、
 なかなかそうはしにくいだろう。
 今の子に「お茶してく?」って声をかけたら
 ・・・きっとお母様に怒られちゃうし、心配させちゃう。
 私は昔 楽しかったけど、
 今はどう考えても不審者になる。

 私が男の人だったら・・・・・
 普通に一緒に遊ぶだけでも
 なおさら不信感を持たれるでしょう。

 保母さん保父さんどちらでもなく
 子供がいなくて
 一人っ子・・・接し方がわからない人も多いけど

 子供に対して
 一緒に遊ぼうか!って言う人も、言える人も
 やっぱり減った。

 それはとっても寂しいことだ。
 ヤマモモのシロップにペリエを注いだ。
 泡までしゅわしゅわとピンクに染まった
 朝焼け色のジュースが出来た。
 
 ジュースはほんのり甘くて、すっぱかった



  「学歴判断する?しない?」

 「人は学歴では判断できない」
 「学歴なんか当てにならない」
 
 よく聞く言葉。
 これって、あなたはどう思う?
 私は半分合っていて、
 きっと半分違うと思う。
 学歴は、結構大切だ。

 幼稚園・小学校・中学校・・・
 何年かに1度同窓会がある。
 高校の同窓会だと、あまり境遇は変わらない。
 ところが、小学校や中学になると
 公立だったせいかな
 ずいぶんと違う。

 中学をでてキャベツ農家を始めた人(親は普通のサラリーマン)
 高校時代には結婚して学校を辞めた人
 タレントをしていたり、
 運送業をしていたり、
 エリートサラリーマン(ひよっこ)になっていたりとほんとに様々。

 それで
 「最近どうしてるの?」
 「昔はこうだったよね」なんて話しながら
 お酒を飲んでごはんを食べる。

 昔の同級生達、盛り上がらないわけが無い。
 なのに・・・・ふっと気づくと
 いつのまにか
 大学へ行った人と 違う人が軽く分かれている。
 
 特に何があったわけじゃないのに、なんとなく。
 みんな仲良くて楽しく話しているのに・・・だ。

 話が合う同士固まっていったらそうなってしまった。 
 でも、大学へ行った中にもそうでない人はちらほらと混じっている。
 単純に行った・行かないで分かれているわけじゃない。
 
 どうしてなんだろう?
 考えた。

 同窓会が始まってすぐ
 軽い話のときは、みんなばらけていた。
 それが、時間が経って
 話題が深まるにつれ
 分かれてしまった。

 1つには、共通の話題があると思う。
 大学時代のサークル・授業・友達・・・
 大学に行ってない人は入りにくい話題。
 
 2つには・・・・偏見かもしれないけれど
 大学に行っている人には、
 「考える」という習慣が環境的に身についているということがあると思う。
 受験であれ、授業であれ、
 嫌でも身につけざるを得ない。
 もちろん、考えることをまるでせずにいたら、価値はへる。
 でも、チリも積もればなんとやら
 大学に行っているというだけである程度の習慣がつくということだ。
 
 だから私は
 大学名ではなく、大学まで考える習慣がある人として
 学歴を重視する。
  
 日々考えている人は
 より好奇心が強く、
 新しい知識を受け入れやすい器があるというのが私の主観。
 知識を求め、コミュニケーションの一環として
 話をねじり、知識を探り合うようなところがある。
  
 これは多分に習慣的なものだから
 同窓会で分かれたって、一緒に話していられる。
 そういう人と話すのはとても楽しい。
 小卒だろうと、中卒だろうと
 考えていることに関係は無い。
 ただ、自発的に考える習慣を押し進めていくのはなかなか難しい。
 
 だから自分なりの哲学、
 自分なりの思いを
 環境に頼らず構築している人を
 私はとても尊敬している。
 
 教育に頼らず
 生きてくなかで養っていくもの
 それを教養っていうのじゃないかな
 
 学歴はすべてじゃない
 でも、きっと1つの「考えている」という基準の指標。
 
 日本は
 世界でもトップクラスの識字率を誇る国。
 江戸時代だって、民間の寺子屋やお寺で
 色んなことを学んでいた。
 
 ただ本を読むことや何かをよしとするだけじゃなく、
 ファッションから、仕事、芸事、学問まで
 日々考え、遊び、楽しむ人が
 粋な会話ができる
 そんな人が
 良い女・良い男って言われてたんじゃないかな
 
 文字がわかれば本を読める。
 人と話せば何かが得られる。
 ほんとの基礎の基礎さえ出来てれば
 案外ものは応用できるもの。
 
 昔の女性は
 学校通っていなくても
 回転が良い人がたくさんいた(会わないだけできっと今もそうだと思う)
 そんなひとは、年をとっても
 魅力的
 
 今、全員大学時代突入中!
 残念ながら大学に行ってるかいないかは
 社会に出れば、結構大きな判断基準。
 でもこれから、大学に行ってても
 「あなた、ものを考えてこなかったでしょ」
 ってひとは増えていくと思う。
 
 おばあちゃんになった時
 そんな人にはなっていたくない。
 「なんていろんなことを楽しそうに考えてきたんだろ」
 って人とたくさん話をしてみたい!

 ああ、もう。
 まずは私が素敵にならなくちゃ!