湯たんぽの夜

 真っ暗な台所で、やかんに一杯の水を沸かす。
 あまり強火でやっても噴いてしまうから、中火でゆっくりと沸くのを見ている。
 静かにしていると、やかんの下からシューシューと紙をこするような音がする。
 無骨なやかんの黒い側面をガスの青い炎が、ちらちらと撫ぜ、囲んでいる。
 シュンシュンと蒸気の出る少し前になると、やかんが小さくグぅーグぅーと唸り出す。
 やかんの中で気泡が転げまわっているのだろう。
 夜中、こうしてぼうっと耳を澄ましている瞬間が好きだ。

 東京は今日初雪で、
 昼には「さっきちょっと積もってた」なんて言葉を小耳にしたが、
 氷雨の今日しか見ていない。
 「降った降った」と噂ばかりの初雪は、起きた端から消えてく夢のようでいやに儚い。
 
 やかんから迸る湯を湯たんぽにつめて抱えると、
 触れたところからじんわりと幸せが拡がり、気が大きくなって外へ出た。
 
 地面は空の暗さと同じ位に黒く、
 物干し竿にいくつもぶら下がった小さな雫が月明かりを映して静かに光っている。
 昨日まで乾燥しっぱなしの東京は、
 ただ普通にいるだけでも肌の表面が切れてくるようだったけれど
 知らぬ間に降った雪が潤わせたので寒さに痛い思いはしても、
 ぴりぴりと肌が引きつる感じはしない。
 
 自分の吐いた息がうっすらと白くなる。
 白い息がそのまま顔の周りに留まると、さっきまでよりもほのかに顔があたたかで
 ちょっと嬉しい。
 おなかに抱えた湯湯婆が、動くたびに、とぽ〜ん、とぽんと優しい水音を立てる。
 
 月の下、庭に隣家の影が黒々として落ちていた。
 初春の寒さは始まったばかり。
 正月から寒さ厳しくなるこの季節。
 やはり旧暦の方が実情にあっているのかもしれない。