忘れられたもの、交わすもの

「あ・・」
 その時、彼女と私の声が揃った。
 
 座席に残された一抱えもある大きな白い布のスポーツバッグには、誰かの背中がそこにあたっていたのを示す丸い窪みがついていた。
 
 「誰?」と、右を見た。
 扉の辺りに該当者はない。
 そのまま更にぐるっと後ろへ首を回すも、該当者は既に歩み去っている。

 「渋谷駅」平日金曜23時頃。
  電車の外を駅員さんが歩いて行く。


 「すいません!」と、白いバッグを摑んだ。
 「これ、忘れ物です!」と、駅員さんにパスをする。
  
 駅員さんは困った顔して
 「持ち主は・・・」と言った。
 私も困った顔して首を傾げた。
 
 駅員さんはかばんを片手に軽く肩をすくめ、こちらに小さく会釈してゆっくりホームを歩いていった。
 制服と白いカバンの組み合わせで、駅員さんの後ろ姿は高校生のように見えた。

 車内に戻ると、かばんのあった席だけが空いている。
 混んでいるのに、なにやら座りにくいよう。
 「これはもう私の指定席に違いない」と図々しく席に座る。
 と隣に座る彼女と目が合った。

 「あのカバン、きっと大学生ですよね」と彼女がふふっと笑った。
 「きっと部活帰りですよね」と、私。
 「定期が入ってなかったら気がつきますよね」と、いたずらっぽく彼女。
 「(定期あって)鍵がカバンだったら、入れなくて大変ですよね」と、私。

 そのまま、テニス部員だ、いやいや、ラケットじゃないからサッカー?ラクロス!意外にまったく別かもしれない。
 とか、カバンに携帯が入っているのと、鍵が入っているのと、定期が入っているのとどれが一番心に負担がないか?
 なんてお互いの名前も知らないままに勝手なことを嘯き、笑った。
 時折、斜め前のおじさんの新聞を持つ手が、私たちの話を漏れ聞いて震えているような気がした。
 笑っているように見えたけれど・・・うん。きっと気のせいだろう。
 
 荷物を忘れた彼(多分)は、きっと終電までに荷物を忘れたことに気づき、
 慌て、駅の事務室で何度も駅員さんに御礼を言うのだ。
 そして忘れて慌てたってことを話の種に笑うんだろうと、二人で決めた。
 
 誰だか知らない彼女は電車を降りるとき
 表情の豊かな黒目をキラキラさせて
 「また、今度あったら話そうね」と言った。
 私も「またね」と言って手を振った。

 これっきりかもしれないし、またこれからがあるかもしれないし。明日から電車の楽しみがまた1つ増えた。
 
 寒い日が続くけれど
 誰にとっての明日も笑顔の多い日になりますように・・・