日本は、砂金が出たから桜好き?

f:id:atoshiranami:20160404110619j:plain一昨夜のこと。

どうしても、ここの桜が見たくって、

六本木駅に降りたら氷雨


そのまま、屋根の下に戻ったって、良かった筈、なのだけれど、、、。


ぐしょ濡れになっても、

どうしてもって思わす桜は、やっぱり特別なんだと思う。


ここの桜は、下からの照り返しで漆の夜に沈金をしたように見える。


あえてライトアップをしていないから、屋内の暖色光が薄い桜を透すと、艶めかしく少しくすんだ金になる。


昔、提灯で照らしていた頃は、みんなそうして見えたんだろうか。


ピンク色をした桜が、なんで金に見えるのかと今更のように考えていたら、

以前、

化粧品の会社の方に「金を、同じナノレベルに揃えると、着色も無しに化粧品が桜色になる」と聞いた事を思い出す。


銅を含んだ合金のピンクゴールドも、桜色がかった色をしている。


桜の艶と若干含有量の低い黄金はとても近いものがあるような気がする。そんな事が気になってならない。


徐福が語った黄金の国は、日本だという説がある。


古代日本の金はどんな色をしていたのだろう。


昔学んだ日本史で、銅の時代から鉄の時代へ移ったことは知っている。

でも、金の加工は、いつ始まったのでしょう。


日本で金が発見されたのは8世紀初頭の奈良時代

当時、日本の金は輸入物。


東大寺の大仏を鍍金するには金が足らず、朝廷は金を再輸入する為の遣唐使を検討していたのだそうです。


そんな矢先に、

百済から亡命してきた王族が、749年に大量の砂金を発見。


無事に大仏が完成し、仏のご加護に感謝した。。と言う所までが、教科書のお話。

(ちなみに、東大寺の仏像はアマルガム方式という水銀を使ったメッキ法を使用したため、水銀中毒者続出)


また、以後の遣唐使達は、支払いを全て自然金の砂金で払ったため、日本には黄金の国のイメージがついたのだとか。


なお、空海は20年分の滞在費として渡された砂金を、経典や本などの購入費で約2年で使い果したのだとか。

お金の出し方、半端ではありません。


淡い桜色が表面に写る砂金は、

遣唐使達に沢山の知識を与え、与えた知識は土木・薬学、様々な

ジャンルで日本の国土を潤おした。


突然に自国で発見された僥倖のような砂金。

その当時の人にとって、普通の贅沢に使ってはいけないような、

仏様の下さりもののような特別なものだったんじゃないかと思う。


遣唐使の派遣が、それまでほぼ15~20年間隔(戦の話し合いのため2ー3年間隔もあり)なのに、749年以降は唐に到着できなかった船も合わせ何年間かが1~5年間隔で派遣されている。


1回の派遣での船の滞在は約2年で、1隻に約150人が乗り(内水夫約60人)、留学生の滞在は約20年。


当時の日本の知識人を、それまでの数倍の勢いで派遣する事が

できたのは金が手元にできたからではないかと思えてならない。


つまり、何をこじつけたいかというと、

その時留学生たちに渡す事ができた縁起のいい金がまとう

淡紅色ををまとうからこそ、桜は美しさ以上に特別で、

日本人が思い入れを持つ花が梅から桜に変わったんじゃないか、というもの。


ヒルズでそんな事をもやもやと思いついてしまったのだけど、、、

当時の金の色など「コレ」と裏打ちできそうなものは

見つけられなかったもので、

これは単なる連想遊びでしかないのだけれど。。。


金が発見された749年の約100年後あたり。

朝廷では、梅見の場が枯れてしまったからと、

なぜか桜に植え替えている。

それはそんな特別な思いを桜に寄せるようになったからではないのかと。そんな風に夜を過ごしてる。


桜がきれいだから、

ついぐだぐだとおかしな事を考える。

これはもう、絶対桜が綺麗すぎるせい。


ちなみに、ネット上で治金や精錬に関わる企業がまとめたサイトに

よれば、15世紀まで日本には灰吹法と呼ばれる金鉱石から銅を分離させる方法が知られていなかったとのこと。


だから、メッキされてないものは、赤みがかった金が多かったんじゃないかしら?600年近く、桜色した金が尊ばれていたのかもって思うと楽しい。


銅と金の合金は、黒や赤みがかった色になるものが多いです。

(なお、『エピソードで綴る日本黄金史』という本では、

灰吹法と同じ原理で骨灰を使って作られた金が、奈良時代に確認できるが、日本で作られていたか確認できず、その手法が広まったのは14世紀の室町時代と書かれているので、分離が出来るようになった時期に関しては1世紀ほど曖昧)

日本は、砂金が出たから桜好き?

f:id:atoshiranami:20160404110619j:plain一昨夜のこと。

どうしても、ここの桜が見たくって、

六本木駅に降りたら氷雨


そのまま、屋根の下に戻ったって、良かった筈、なのだけれど、、、。


ぐしょ濡れになっても、

どうしてもって思わす桜は、やっぱり特別なんだと思う。


ここの桜は、下からの照り返しで漆の夜に沈金をしたように見える。


あえてライトアップをしていないから、屋内の暖色光が薄い桜を透すと、艶めかしく少しくすんだ金になる。


昔、提灯で照らしていた頃は、みんなそうして見えたんだろうか。


ピンク色をした桜が、なんで金に見えるのかと今更のように考えていたら、

以前、

化粧品の会社の方に「金を、同じナノレベルに揃えると、着色も無しに化粧品が桜色になる」と聞いた事を思い出す。


銅を含んだ合金のピンクゴールドも、桜色がかった色をしている。


桜の艶と若干含有量の低い黄金はとても近いものがあるような気がする。そんな事が気になってならない。


徐福が語った黄金の国は、日本だという説がある。


古代日本の金はどんな色をしていたのだろう。


昔学んだ日本史で、銅の時代から鉄の時代へ移ったことは知っている。

でも、金の加工は、いつ始まったのでしょう。


日本で金が発見されたのは8世紀初頭の奈良時代

当時、日本の金は輸入物。


東大寺の大仏を鍍金するには金が足らず、朝廷は金を再輸入する為の遣唐使を検討していたのだそうです。


そんな矢先に、

百済から亡命してきた王族が、749年に大量の砂金を発見。


無事に大仏が完成し、仏のご加護に感謝した。。と言う所までが、教科書のお話。

(ちなみに、東大寺の仏像はアマルガム方式という水銀を使ったメッキ法を使用したため、水銀中毒者続出)


また、以後の遣唐使達は、支払いを全て自然金の砂金で払ったため、日本には黄金の国のイメージがついたのだとか。


なお、空海は20年分の滞在費として渡された砂金を、経典や本などの購入費で約2年で使い果したのだとか。

お金の出し方、半端ではありません。


淡い桜色が表面に写る砂金は、

遣唐使達に沢山の知識を与え、与えた知識は土木・薬学、様々な

ジャンルで日本の国土を潤おした。


突然に自国で発見された僥倖のような砂金。

その当時の人にとって、普通の贅沢に使ってはいけないような、

仏様の下さりもののような特別なものだったんじゃないかと思う。


遣唐使の派遣が、それまでほぼ15~20年間隔(戦の話し合いのため2ー3年間隔もあり)なのに、749年以降は唐に到着できなかった船も合わせ何年間かが1~5年間隔で派遣されている。


1回の派遣での船の滞在は約2年で、1隻に約150人が乗り(内水夫約60人)、留学生の滞在は約20年。


当時の日本の知識人を、それまでの数倍の勢いで派遣する事が

できたのは金が手元にできたからではないかと思えてならない。


つまり、何をこじつけたいかというと、

その時留学生たちに渡す事ができた縁起のいい金がまとう

淡紅色ををまとうからこそ、桜は美しさ以上に特別で、

日本人が思い入れを持つ花が梅から桜に変わったんじゃないか、というもの。


ヒルズでそんな事をもやもやと思いついてしまったのだけど、、、

当時の金の色など「コレ」と裏打ちできそうなものは

見つけられなかったもので、

これは単なる連想遊びでしかないのだけれど。。。


金が発見された749年の約100年後あたり。

朝廷では、梅見の場が枯れてしまったからと、

なぜか桜に植え替えている。

それはそんな特別な思いを桜に寄せるようになったからではないのかと。そんな風に夜を過ごしてる。


桜がきれいだから、

ついぐだぐだとおかしな事を考える。

これはもう、絶対桜が綺麗すぎるせい。


ちなみに、ネット上で治金や精錬に関わる企業がまとめたサイトに

よれば、15世紀まで日本には灰吹法と呼ばれる金鉱石から銅を分離させる方法が知られていなかったとのこと。


だから、メッキされてないものは、赤みがかった金が多かったんじゃないかしら?600年近く、桜色した金が尊ばれていたのかもって思うと楽しい。


銅と金の合金は、黒や赤みがかった色になるものが多いです。

(なお、『エピソードで綴る日本黄金史』という本では、

灰吹法と同じ原理で骨灰を使って作られた金が、奈良時代に確認できるが、日本で作られていたか確認できず、その手法が広まったのは14世紀の室町時代と書かれているので、分離が出来るようになった時期に関しては1世紀ほど曖昧)

アメフトは贅沢なスポーツです

f:id:atoshiranami:20150602161227j:plain

「700人?」
「ほんと?計算間違いじゃない?」

 

ゴールデンウィークのある1日。


2700人が最大収容人数の富士通川崎スタジアム。

チケット販売の机で、経過計算中の女性が電卓で入場数を計算をし直している。

会場はかなり埋まって、賑わっている。
ひたすらエールを上げ、踊り続けるチアガール達を横目に進むと
こっちだよ!って、友人が立ち上がって教えてくれる。

 

初のアメフト(アメリカンフットボール)観戦。

10年以上アメフトを見ていると言う方や、学生時代アメフト選手だったという方など、
皆様には申し訳ないながら、初心者の私には嬉しい布陣。

なにもかもが目新しくて、つい質問ばかりを重ねてしまい
「いっぱい聞くね~(笑)」と、笑われた。
どれもこれもが、興味深くて仕方ない(笑)。

 

ざっくりなルールとしては、ラグビーと同じような楕円のボールを使用。

①ゴール方法は2つ。
 ・ゴールラインを越えるところまで、手で持っていく
 ・棒高跳びのハードルのようなゴールにボールを入れるか。
 *手で持っていくと、ボーナスとしてゴールにフリーキック(正確には少し違うけど)が追加。

②攻撃側は、相手にボールを取られず、3回の攻撃で10ヤード(約9m)以上進まなくてはいけない
 ・相手に倒されたら、その場所から試合再開。
 ・手から落としたら、攻撃開始場所まで戻って試合再開。
 ・攻撃側のパスを守備側が取ったら、攻守逆転、攻撃終了。
 ・10ヤード進めなかったら、攻守交代。

③11人対11人でも、登録選手は各60人
 ・攻撃の時にフィールドにいる11人と、守りの11人は別。
  攻守が代わる度にグラウンドの人が入れ替わる
 ・交代人数・回数無制限。

陣取りと点取りが組み合わさったような種目。
10ヤードを行くよう、行かせないように走り、投げるが繰り返される。
ヘルメットや、体中に入れられた詰め物などが攻守の度にぶつかって、
ガツゴツと、
スポーツにあるまじき音を立てるので、思わずビクっとしてしまう。

 

とにかく暑い日差しの中で、選手たちは飛び回る。
「アメフトは、専門職でシステマティック」と、元選手で後ろでパス受け走る専門だったという彼が言う。

 

クウォーターバック(QB)という司令塔以下、

各10人は「長距離を走って受ける」
「蹴るだけ」、「パスするだけ」と役割が細分化され、
いつ、誰が、どこを走るのかの作戦ルートがきっちり決まっていて、
敵の優先順位の把握までがされている。

作戦ナンバーをいつ共有しているのかは0不明なものの、
ゲーム開始直前、互いに向かい合い、ボールが動くのを待つ間も、
QBさんが倒すべき相手の優先順位をゼッケン●番、●番などと声をかけていたりする。

 

聞くところによれば
基本、QB以外は、自分で判断して動くことはあまりない。

自分が走るべきルートで、決められた瞬間(秒数)までにパスが来なければ
優先順位●番までの人のルートがつぶされたとわかる。

優先順位を判断し、職務を果たし、決められたことを寸分たがえずに
行うように体に叩き込み、決められたルートで対応できない時に限り、
自分で判断するとのこと。

・・・・・ナンカとてもすごいです、アメフト。

 

「日本では、最初にパスを出すQBが作戦の指示書を腕に付けているんだけど、アメリカではQBにインカムがついて、試合場を上から見ている監督から指示が飛んでくる」とのこと。

モノスゴイです。


完璧に、軍隊の情報伝達・行動体制ではないですか・・・

なるほどアメリカの軍隊上層部がアメフト出身者だらけというのがうなづけてしまう。

 

他の人を羨まず、自分の特徴を鍛え、優先順位をはっきりさせ、
やるべきことを果たす。

こんなこと、普通にこなせるなんて、お仕事もできないわけがない。
こんなすごいスポーツだとは、まったく知りませんでした。

 

それぞれの職分が、どれだけはっきりしているのかが、練習風景からもうかがえる。


試合場脇でのパス練習
試合で最初にボールに触れるQB(1チームに大体2人)は、
練習中も司令塔である自分が突き指などしないよう、
決してボールを受けず、
他のメンバーが受け取ったボールをただ投げる「だけ」。

 

それが、この種目では普通のことなのだそう。

ここまで徹底されていると、本当にあっけにとられてしまう。

 

そんな話をしていたら、
一人がポツリと
「アメリカでなりたくない職業の15位って、蹴るだけの人なんだよね」
と言った。

攻守でせめぎ合う時には一切試合に出ず、
サッカーでいえばフリーキック1回のためだけに練習している選手が
アメフトにはいるのです。

なんて贅沢に人を使う奥が深い競技なのか。
スケールが大きすぎて頭がくらくらしてくる。

日本車の国の私としては、さすがアメ車を送り出す国だと茫然。

 

カンカンの太陽の下、みんなでワイワイ夢中で観戦していたら、
体の前半分だけ日焼けして、前後で1人紅白状態。

夢中になるって危ないことだ。

湯たんぽの夜

 真っ暗な台所で、やかんに一杯の水を沸かす。
 あまり強火でやっても噴いてしまうから、中火でゆっくりと沸くのを見ている。
 静かにしていると、やかんの下からシューシューと紙をこするような音がする。
 無骨なやかんの黒い側面をガスの青い炎が、ちらちらと撫ぜ、囲んでいる。
 シュンシュンと蒸気の出る少し前になると、やかんが小さくグぅーグぅーと唸り出す。
 やかんの中で気泡が転げまわっているのだろう。
 夜中、こうしてぼうっと耳を澄ましている瞬間が好きだ。

 東京は今日初雪で、
 昼には「さっきちょっと積もってた」なんて言葉を小耳にしたが、
 氷雨の今日しか見ていない。
 「降った降った」と噂ばかりの初雪は、起きた端から消えてく夢のようでいやに儚い。
 
 やかんから迸る湯を湯たんぽにつめて抱えると、
 触れたところからじんわりと幸せが拡がり、気が大きくなって外へ出た。
 
 地面は空の暗さと同じ位に黒く、
 物干し竿にいくつもぶら下がった小さな雫が月明かりを映して静かに光っている。
 昨日まで乾燥しっぱなしの東京は、
 ただ普通にいるだけでも肌の表面が切れてくるようだったけれど
 知らぬ間に降った雪が潤わせたので寒さに痛い思いはしても、
 ぴりぴりと肌が引きつる感じはしない。
 
 自分の吐いた息がうっすらと白くなる。
 白い息がそのまま顔の周りに留まると、さっきまでよりもほのかに顔があたたかで
 ちょっと嬉しい。
 おなかに抱えた湯湯婆が、動くたびに、とぽ〜ん、とぽんと優しい水音を立てる。
 
 月の下、庭に隣家の影が黒々として落ちていた。
 初春の寒さは始まったばかり。
 正月から寒さ厳しくなるこの季節。
 やはり旧暦の方が実情にあっているのかもしれない。

待て待てとまれ

 「まて!」
 「まて!」
  おじさんが右手の指をぐっと広げて叫ぶ。
 ところが、「いいか、待つんだぞ」とカメラを構えると、右手首から垂れた青い引き綱がくっと引かれて綱先のゴールデンレトリバーが側へ行く。
 と、おじさんが「こら!待て」と叫ぶ。



 正月ののんびりとした陽光が刺す駅前の小さな広場は、小さなビルが隣接していて、「まて!」の残響がちぎれた細波のように返ってくる。
 「待て」・・って・・て・・
 「いや、だから、待つんだ!」んだ!・・ん・・・だ・・だ・・・
 
 おじさんの持つ大きなレンズが美味しいものなんじゃないかな?と、レトリバーが鼻を近づける。
 汚されないようにとおじさんがカメラを頭上に上げて反り返る。
 反り返った腕がまた綱を引くからレトリバーは立ち上がっておじさんにじゃれて行く。

 「もっと後ろだ!」「止まれ!」「笑え!」
 おじさんの命令口調もレトリバーには「おいで」と聞こえるらしい。
 ろだ・・だ・・だ・・・。まれ・・れ・・れ・・。らえ・・ぇ・・ぇ・・・
 小さな残響が降る中、尻尾を振っておじさんのカメラに擦り寄って行く。
 
 「こら!」こら!・・ら・・何度も何度も挑戦するおじさん達の横を、駅から降りてきた人たちが
 一目で様子を見て取りくすりと微笑み抜けていく。
 良いシャッターチャンスを得るのは難しそうだ。

 小さな広場にはもう1人おじさんがいる。
 ベージュのベストを着たこちらのおじさんは、「待て」の残響の下で所在なげにポケットに手を突っ込んで立っていた。
 
 何をしているのかと近寄ると、むっちりとした肉付きの柴犬が地べたに沈み込むような形で両手両脚を投げ出して眠っている。
 黒い引き綱はおじさんの手をとうに離れて柴犬の脇にウネウネとした線を描いている。
 おじさんは私の視線を感じると「いやぁ、おじいちゃんなもので昼寝が好きなんですよね」と笑う。

 後ろでは止まることを知らないレトリバーが跳ね、眼前には散歩の途中で動かなくなってしまった柴犬。

 正月の空はどこまでもやわらかな青色で、あくびの出るほどのいい陽気で、広場を後にしてもしばらくは、カメラおじさんの声が途切れ途切れに耳に届いた。

忘れられたもの、交わすもの

「あ・・」
 その時、彼女と私の声が揃った。
 
 座席に残された一抱えもある大きな白い布のスポーツバッグには、誰かの背中がそこにあたっていたのを示す丸い窪みがついていた。
 
 「誰?」と、右を見た。
 扉の辺りに該当者はない。
 そのまま更にぐるっと後ろへ首を回すも、該当者は既に歩み去っている。

 「渋谷駅」平日金曜23時頃。
  電車の外を駅員さんが歩いて行く。


 「すいません!」と、白いバッグを摑んだ。
 「これ、忘れ物です!」と、駅員さんにパスをする。
  
 駅員さんは困った顔して
 「持ち主は・・・」と言った。
 私も困った顔して首を傾げた。
 
 駅員さんはかばんを片手に軽く肩をすくめ、こちらに小さく会釈してゆっくりホームを歩いていった。
 制服と白いカバンの組み合わせで、駅員さんの後ろ姿は高校生のように見えた。

 車内に戻ると、かばんのあった席だけが空いている。
 混んでいるのに、なにやら座りにくいよう。
 「これはもう私の指定席に違いない」と図々しく席に座る。
 と隣に座る彼女と目が合った。

 「あのカバン、きっと大学生ですよね」と彼女がふふっと笑った。
 「きっと部活帰りですよね」と、私。
 「定期が入ってなかったら気がつきますよね」と、いたずらっぽく彼女。
 「(定期あって)鍵がカバンだったら、入れなくて大変ですよね」と、私。

 そのまま、テニス部員だ、いやいや、ラケットじゃないからサッカー?ラクロス!意外にまったく別かもしれない。
 とか、カバンに携帯が入っているのと、鍵が入っているのと、定期が入っているのとどれが一番心に負担がないか?
 なんてお互いの名前も知らないままに勝手なことを嘯き、笑った。
 時折、斜め前のおじさんの新聞を持つ手が、私たちの話を漏れ聞いて震えているような気がした。
 笑っているように見えたけれど・・・うん。きっと気のせいだろう。
 
 荷物を忘れた彼(多分)は、きっと終電までに荷物を忘れたことに気づき、
 慌て、駅の事務室で何度も駅員さんに御礼を言うのだ。
 そして忘れて慌てたってことを話の種に笑うんだろうと、二人で決めた。
 
 誰だか知らない彼女は電車を降りるとき
 表情の豊かな黒目をキラキラさせて
 「また、今度あったら話そうね」と言った。
 私も「またね」と言って手を振った。

 これっきりかもしれないし、またこれからがあるかもしれないし。明日から電車の楽しみがまた1つ増えた。
 
 寒い日が続くけれど
 誰にとっての明日も笑顔の多い日になりますように・・・

街灯ともる

夜。
 寒さでふと、目がさめた。
 カーテンの向こうがほんのりと明るくて、透き通るような虫の声が光っている。
 秋の声は薄い花弁を幾重にも重ねた花が開いていくのを息を潜めて目撃しているときに似て
 音がするのにとが無いような気がする。
 小さな風が窓の脇を通り、薄い硝子がカタカタと木枠ごと揺れた。



 ヒーターが好きではないから、もう少ししたら息が白く染まるだろうか。
 そんなことを考えながら、カーテンをそっと引いてみた。
 布団の中で温まった足は、冷たい床に降りた途端にキュッと指を強張らせた。



 窓辺に寄ると真っ暗になった家々の窓が見えた。
 ほんの数時間前までは、どこの家にも明かりが灯っていだろうに、
 深夜となった今、街灯だけがポツンと白く月灯りに対抗している。 
 星が見えるかと顔を窓に寄せると、窓はぼんやりと白い膜を張り、
 街灯の周りだけがまるく虹色に光った。



 誰かと話したいわけでもなく、話したくないわけでもない。
 ただ、漫然と起きてそこでぼぅっとしていたい。
 特段の理由もなくそんなことを感じながら。
 
 じっとしていたら寒くて毛布を引き寄せた。
 それから、毛布を抱いてどれだけいたのか。
 我に返ると、足がすっかり冷え切っていた。
 
 外の風景に捕らわれたままのろのろベットに潜り込む。
 微かに残る温かみにじわじわと足がほどけて行くのを感じながら
 ポツンと灯る街灯の夢を見た。



 街灯は、水平線が見えるほど大きな氷の上に立っていた。
 氷の上に街灯以外のものは何にもなくて、空にはやっぱりお月様がぽかっと浮かんでいた。
 
 そして街灯自身の照らす薄い影が1本、黒々としたお月様のものが1本。
 2本の影が重なりもせず氷の上に延びている。
 
 そんな夢。



 気づけば部屋に朝が来ていた。